Lot 418

月岡 芳年、歌川 国芳

芳年武者无類 3枚&源賴光と四天王に襲いかかる土蜘蛛 1枚

JPY 80,000 - 130,000
No Reserve

HKD 5,700 - 9,300

USD 740 - 1,200

スタート価格 JPY 40,000

Sold JPY 57,500

技法

木版画

サイズ

36.4×24.5 cm etc.

解説文

歌川 国芳
源賴光と四天王に襲いかかる土蜘蛛 1枚
酒呑童子の鬼退治の伝説でよく知られる源頼光には、土蜘蛛退治の伝説もある。原因不明の熱病で床についていた頼光。そこへ化身した土蜘蛛の精が現れ、襲われる。頼光は名刀膝丸で斬りつけ、家臣たちが血のあとをたどって行き、古塚にすむ土蜘蛛の精を退治するという筋書きである。
源頼光に仕えた家臣、四天王とは、渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光のことで、この一枚には、渡辺綱・碓井(臼井)貞光が描かれている。
月岡芳年
芳年武者无類
「弾正忠松永久秀」「遠江守北条時政」「主計頭加藤清正」
鬼才・月岡芳年の「武者絵」だけを集めた無類の傑作集で全32枚あるうちの3点。
最後の浮世絵師と呼ばれた芳年が、勇壮でダイナミックに英傑たちを描いている。芳年は自身の豊かな想像力を駆使して幻想的な世界を描き出すことを得意とし、多才な浮世絵師であったことが窺える。
「弾正忠松永久秀」
「織田信長」の家臣であった「松永弾正久秀」が、主君に2度目の反旗を翻して1577年(天正5年)に勃発した「信貴山城の戦い」において、織田軍に包囲され、いよいよ自害に追い込まれたという最期の瞬間。上に向かって流れる着物の紐と振り乱れる髪の毛、そして頭上にパッと上げて開かれた手など、ストップモーションを思わせる表現技法が用いられ、まさに月岡芳年の真骨頂が発揮された作品である。
「遠江守北条時政」
鎌倉幕府初代執権を務めた武将「北条時政」が、弁財天に向かって何やら祈願している様子が描かれている。北条時政が、子孫繁栄を願って江ノ島へ参籠したという逸話である。
「主計頭加藤清正」
豊臣秀吉に寵愛され徳川家康にも一目置かれた戦国時代の豪傑、加藤清正。清正公は武勇に優れただけでなく、高い教養を持ち、為政者としても評価の高い人物であった。
ある日「論語」を読んでいた加藤清正公が所用で部屋を出ると、飼っていた猿が主人のまねをして、墨のついた筆を持ち、「論語」にいたずら書きをして本を汚してしまうが、部屋に戻った清正公は、猿を叱るどころか、「お前は猿なのに、そんなに勉強がしたいのか」と猿をほめてやった、という場面である。
歌川国芳(1797-1861)は、江戸時代後期を代表する浮世絵師。幕府の財政が逼迫し世情が不安定だった当時、その閉塞した社会状況を打破するようなパワフルな武者絵やユーモラスな戯画を描いて大衆の喝采を浴び「奇想の絵師」などと呼ばれた。当時の浮世絵師の番付には、名所絵の広重に対し、武者絵の国芳として名前が掲げられている。¶反骨と風刺の精神に富んだ作品群は、当時の人々の圧倒的支持を得、多くの門人が集まり、浮世絵師の最大派閥を形成。その系譜は昭和の日本画家まで連なっている。
近年、近代感覚あふれる斬新な造形性が再評価され、広い世代の人気を集めている。またその人気は海外にまで広まっていて、大規模な展覧会が開催されるなど、大きな反響を呼んだ。
月岡芳年(1839~1892)は、幕末から明治時代前半にかけて活躍した浮世絵師。迫力あふれる構図や鋭い筆遣いは、現代においても色あせない魅力がある。
明治新政府によって欧化政策が押し進められ、浮世絵を筆頭に、さまざまな江戸の文化が失われていく中、芳年は12歳で浮世絵師・歌川国芳に弟子入りしてから、1892年に亡くなるまで、終生「浮世絵師」として筆をふるい続けた。


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